デスカフェで「最期」を語る
2026年4月22日(水)

今月のオンライン開催デスカフェに参加しました。
今回は「最期(ザ・ファイナル)」をテーマにして
二つの問いを参加者の皆さまと一緒に対話しました。
シンプルに自分の死に向き合うことに立ち返って
いざとなったらどのように最期を迎えることを
自分は望むだろうかということを考えてみました。
最初の問いは「あなたは人生の最期をどこで迎えたい
ですか?自宅ですか、施設ですか、病院ですか?
それともどこか別のところですか?」です。
誰もが一度は考えるであろう自分の死の場面で
どういう場面がいいとか、どういう場所がいいなど
どのように自分の最期を迎えたいと望むか、ですね。
だいたい共通しているのは家族や周りの人には
面倒とか迷惑をかけたくないと思うようでして
自宅ではなくケアしてもらえるところがいいようです。
特に下のお世話が一番家族にさせたくないという
介護の懸念が大きいようですが、ご自身の経験から
一週間くらいの入院で…というあこがれがあったり。
周りの人の迷惑をもし全く顧みなくてもいいなら
旅の空でコロリととか西行法師のように桜の木の下で
命終えるという夢物語的な希望も出てきたりました。
印象的だったのは、自分の最期は自分で決めたいから
少しずつ食べるのを減らしていって枯れるように
亡くなっていく干死にするのが理想というお話でした。
二つめの問いは「あなたは認知症になってきたのを自覚し
はじめ、そろそろ自分の意識が保てなくなってきているとき
人生の最期をどこでどのように迎えたいと言い残しますか?」です。
認知症になっていくのを自覚できることもあれば
本人の自覚がないままになっていくこともあるでしょうが
もし自覚してきたとしたら希望をどう伝えるか、と。
認知症というと脳の病気や障害で認知機能が下がって
生活に支障をきたす状態になっていくことをいうので
加齢による物忘れとは厳密には違ってはいるのですが。
いずれにしても自分だけで日常生活を続けることが
難しくなって家族や周囲の手を煩わせるようになって
いろいろよくわからなくなった場合についての話です。
記憶がとどまらなくなったら嫌なことをすぐ忘れて
それはそれで幸せかも…という意見があった一方で
どんな自分になるのか不安だという声は多かったです。
それまでの人柄が全く変わったという事例があるので
自分の嫌な本性が出るなら人には見せられないだとか
感謝の言葉を口にできるかという不安があるようですね。
ということで病院とか施設に入れてもらいたいという
意見が多かったですが、これから先も介護を受けられる
施設が存続できるか人材がいるかは懸念材料でしょう。
いっそのこと過疎地のどこかでどんな形であっても
何かのサービスを受けながらでも一人で暮らせる状況で
いられるほうが自由があっていいなぁと私は思います。
それはそれで夢物語的なお話なので、そんなことを
考えなくていいようにシャンとし続けていたいものです。
次は6月の予定ですので是非ご一緒してみませんか♪