手を合わせたくなる心
2026年3月9日(月)

ご縁をいただいてお勤めしたお葬式のときに
遺骨は火葬後に亡き方の郷里に連れて帰ると
ご遺族の姉妹から挨拶されたことがありました。
妹さまが郷里の近くに住んでいらっしゃるので
そちらで四十九日を迎えたあとで散骨をされる
予定というのでご縁はそれまでと思っていたら。
広島にいらっしゃるお姉さまから「何もないけど
四十九日法要をしていただくことはできますか」
と電話があったのでお寺でご法事を承りました。
何もないのは寂しいからせめてこれだけでもと
親御さまが映った写真をご持参されたので
お預かりして前机にお供えしてお勤めしました。
自分たち姉妹が元気なあいだは供養できるけど
後に子ども世代に負担をかけることがないよう
お墓はやめて散骨することを選ばれていたので。
お仏壇もなくてお位牌もつくられていませんが
ご自宅の一角に遺影代わりの写真を安置して
時どきお供えものをされていらっしゃいます。
四十九日法要は妹夫婦が郷里でやってくれると
わかっているけど、自分は何もしないでいるのが
どうしても気になったので今回頼んだのだそうです。
位牌がなくてすみませんとおっしゃるのですが
位牌があるないよりも法事をしようと思っていただいた
ことの方がはるかにありがたいです、と申しあげました。
ありがとうございます、実はお葬式のときにも
和尚さんが言ってくださったことにホッとしたんですよ
とおっしゃるので、何を申しあげたのかと思ったら。
亡き方の曾孫さんたちが一緒に参列されていたので
「にぎやかにされていても全く構わないですから
一緒にお参りください」と式の前に言った言葉でした。
散骨も騒がしい曾孫たちも受け入れてもらえて
ありがたかったので法事を頼んだのだそうですが
こちらこそご縁をいただけてありがたいことでした。
でもそれにも増してとてもありがたく感じたことは
郷里で妹さんがされる四十九日法事には行けないので
広島で法事をしてもらったら安堵されたことでした。
亡き方を想う気持ちがあるから何かしたくなるわけで
供養のかたちは人それぞれですが、手を合わせたい
というお気持ちにお応えすることができて幸いでした。