宗派の違いを対話から学び合う
2025年9月20日(土)
浄土真宗と日蓮宗と浄土宗という坊さん3人で
念仏と題目を通してお互いのことを語り合って
学び合うということを不定期で続けていまして。
今回は平安末期から鎌倉期にかけての時代には
地獄の存在を確かに信じていたと思われるけど
現代はどうだろうかという問題提起が出てきて。
それぞれの祖師たちはどうだっただろうかと
互いに質問してそれに答えていき、さらには
自分自身の思う感覚について対話をしました。
最もありがたいのは、もちろん自分の宗派は
大切にしつつもお互いの宗派の教義であったり
歴史的な経緯についても尊重し合えることで。
場合によっては都合の悪いことも出てくるけど
わからないものはわからないとはっきり言えるし
おかしいと思うことはおかしいと言える関係性です。
そのなかで念仏や題目がなぜ当時の人たちには
受け入れられていったのかを考えていくなかで
当時は来世観を持っていたという話がでてきて。
来世があって輪廻していることを当然と思っていて
輪廻していく先が地獄の可能性が高いと思うから
念仏や題目が受け入れられたという話になりました。
何しろ当時の人が生きている状況そのものが
地獄としか思えないような戦乱が起きていたり
生活状況も厳しかったりしていたのでしょうけど。
今の私たちが置かれて生きている状況はというと
当時の人たちと比べるとはるかに恵まれていて
モノにあふれて清潔な環境にあるといえます。
今の人たちが来世観を持っているかというと
転生する物語が普通に受け入れられている
ということは何かしら持っているといえますが。
地獄に堕ちるという可能性はほぼ皆無だろうし
何となくいい所に次は生まれるんじゃないかと
思っている場合がほとんどのような気がします。
そういう時代に念仏や題目が求められるかというと
祖師たちの時代と同じ感覚で求められないだろうから
違った感覚で訴える必要があるかなぁという話になりました。
残念ながらじゃあそれは何かというところまでは
時間が足りなくて語り合うことができませんでしたが
一体何かというと…答えが簡単には出そうにないですね。
きっとずっと探し続けていかないといけないのでしょう。
こういう刺激を与え合えるご縁はありがたいですね♪