亡くなってくれてホッとする
2025年9月10日(水)
先日の葬儀のご縁で喪主さまに伺った話です。
親御さんは以前から認知症でいらしたのですが
本人の希望によりご自宅で生活されていました。
お子さんは息子さん一人と娘さん二人ですが
一人の娘さんだけ広島市内に在住されていて
あとの二人は東京と海外に離れておられます。
ということで広島に残っている娘さんお一人が
ご自宅で過ごしたいという親御さんのお世話を
一手に引き受けて面倒をみていらっしゃいました。
なるべくちょくちょく親元に顔を出すようにして
何とかご自宅での生活のサポートをされていたけど
今年になって認知症が一気に進行してしまったらしく。
これまでも親御さんの言うことがコロコロ変わって
振り回されていたけど、認知症が進んでしまって
あまりにも大変になりすぎて辛くなったそうです。
このままだと親御さんより自分のほうが先に
倒れてしまうんじゃないかと危惧されるので
思いきって施設のお世話になることにされました。
本人が希望していた自宅暮らしを止めさせて
施設に入ってもらうことにするという決断は
弟妹と相談したけど最後は自分の決断一つでした。
念のため病院で親御さんを診察してもらったら
予想外の病気が発覚したので、どういう治療をして
何はしないのか、というのも決めないといけないし。
病院に入っているあいだにお世話になる施設を
探さないといけないし、どこだったらいいのか
施設選びについても自分が決めないといけなくて。
そうした選択をしていくということについても
心には大きな負担があってしんどかったので
親御さんが急逝したのに悲しさや寂しさよりも。
正直に言うとホッとしたという気持ちの方が
大きかったというのを私との話の流れの中で
言えたことでものすごく楽になれたとおっしゃいました。
こうした心の奥底にあるホンネの部分については
「こんなこと言ってはいけないんじゃないか…」
という想いがどうしても湧いてブレーキをかけがちです。
話しても大丈夫と思える場がなかなかないので
なかなか誰にも言えないし、言っても理解して
もらえないことが多いから心に蓋をしがちなんですね。
もし誰にも言えないで悶々としているようなら
坊主BARや寺カフェなどに来ていただくとか
個別でも話を聴きますのでどうぞお声掛けください。