もっとしっかり聞いておけばよかった

2025年9月8日(月)


遠方から法事のために帰省されたお檀家さまに
麦茶を出して本堂のソファでくつろいでいただいたら
昔話を語り出してしばらくワンマンショーになりました。

息子さんと娘さんとお孫さんもゆっくりされていて
私も法事のあとに予定がなくて余裕があったので
「そうですか」とうなずきながら話を聴いていました。

戦前生まれの方で親族の跡取り息子だったので
ものすごくチヤホヤされて大切に可愛がられていたのが
80年前の原爆で一瞬にして生活が一変したそうです。

原爆がもとで父親も祖母も可愛がってくれた叔母も
数年の間に亡くなって育ててくれる身寄りがなくなり
違う叔父に引き取られてお世話になることになって。

その家の叔母に疎まれていて難儀な生活だったけど
いろんな仕事をしてさまざまな人と出会っていき
遅くなったけど結婚して子どもにも孫にも恵まれて、と。

個人的には貴重な体験談なので息子さんや娘さんに
「お父さんの話は聴かなくて大丈夫ですか」と尋ねると
「もう何度も聞いて全て知っています」と言われました。

そうですよね、そう答えるお気持ちはよく分かります。
私自身、祖母が夕飯のあとお決まりのパターンで
同じように何度も被爆を含めて体験談を語っていました。

家族はしれっと雲散していくけど祖母を独りにするのは
なんだか可哀想な気がして私は祖母のそばに残って
どれも聞いたことある話だけど最後まで聴いていました。

でも今では、もっとちゃんと聞けばよかったと思っています。
今になって「あの時はどうだったの?」と尋ねたいことが
たくさん湧いてくるのに、もう尋ねることはできないんですね。

耳にタコができるくらい聞いたので全部知っていると思っていても
年々記憶が薄れてるし、誰かに話そうとすると不確かなことが多いので
カセットテープか何かに録音しておけばよかったと後悔しています。

ということを娘さんと息子さんに私の体験として伝えましたが
目の前に元気な父がいて、いやというほどいつも同じ話をするから
いつでも聞けると思っていて、自分は覚えていると思っているようです。

今はそう思っていても、きっと将来「何と言ってたっけ?」と
なる日がやってきて、その時になって後悔するかも知れません。
そうやって歴史は繰り返していく…というのは惜しいんですけどね。