他人事が自分事になったとき

2025年8月1日(金)


明日夜の盆施餓鬼法要にはお参りできないから
実家のご両親のご供養をしてほしいという方が
一日早くお墓参りも兼ねてお寺に来られました。

盆施餓鬼法要での回向の申し込みを預かって
ご参詣の方にお配りする御供物をお渡ししたら
「和尚さん、ちょっとお話いいですか?」と。

ご結婚されたご主人のお姉さんにあたる方が
今年になってから体調を崩して入院されていて
一週間前に病院の先生に呼び出されたそうで。

「今の状況だと、もって数日から三週間です」と
先生から義姉さんの余命を伝えられたことにより
病院からいつ呼び出されるかわからないらしく。

日に日に衰弱していく義姉さんの姿を見るのも
辛いけど、ほんの一握りだけど食べてくれるから
義妹さんと交代で食事のお世話に通っているそうです。

「義理の姉だけど放っておくわけにいかないから
時間をどうにかやりくりして病院通いを続けているけど
そろそろ体力的に段々つらくなってきているし。

携帯の通知音が鳴るたびにドキッとしてしまうし
夜中も音が鳴るようにしておかないといけないから
気持ちが全く休まらなくてしんどいんですよ」と。

私が「そうですか…」と相づちを打ったところ
「実は義姉は和尚さんが面識がある人なんです」
と言われたのですが、パッと思い当たりませんでした。

「失礼ですが、お名前を教えていただけますか」
と率直にお尋ねしたら、確かに存じあげている方でした。
下のお名前を聞いて「あっ!」と気づいたんですね。

とても元気でエネルギッシュな方だったのですが
まさか病を患って余命いくばくもない状況だとは
まったく知らなかったのでビックリしました。

思わず「え〜そうなんですか?」と言ったところ
「そうなんですよ…」とおっしゃったのですが
私は返す言葉が見つからずしばらく沈黙していました。

「こんな話をしてすみませんね」とおっしゃったので
「いえいえ、教えてくださってありがとうございます」
と返事をしましたが、それ以上は言葉が続きませんでした。

「どうぞお身体に気をつけてくださいね」とご挨拶して
お別れしたのですが、命の灯が小さくなっていくのを
見送るしかできないもどかしさが私の中にも残りました。

お見舞いに伺うほどの間柄でもないので、何もできませんが
少しでも安らかで穏やかな時間を過ごされますように…と
祈るような気持ちで仏さまに願って手を合わせました。