誤解を解く必要はあるのか
2025年7月4日(金)
「住職さん、誤解を解くいい方法ってありますか?」
そう尋ねてこられたのは息子さんとの関係で
何年もずっと悩んでおられるお母さんでした。
「何を言ってもうまく伝わらなくて…気がついたら
責められてるような空気になってしまうんです」
胸の内にたまったもどかしさが声ににじんでいました。
たしかに「誤解される」というのは辛いものです。
とくに親子のような近しい関係では感情が入り混じって
しまいやすいですし冷静な対話が難しくなります。
だからこそまずは落ち着いて話ができる環境を整えること。
電話とかLINEじゃなくて、できればお互い対面して
少し心がほどけている瞬間を見計らうのがいいでしょう。
どうやっても何を言っても自分の想いがうまく
伝わらないときって、つい言いたくなりますよね。
「そうじゃないんよ!」「ねぇ聞いて!」と。
でもそんなときこそ思いきって少し立ち止まって
「この子はなぜそう受け取ったんだろう?」と
相手の感情に耳を傾けてみることが最初の一歩でしょう。
たとえ誤解だったとしても「そう思わせてしまった
のは自分かもしれない」と少し自分と向き合ってみる。
それは謝ることではなく信頼の芽を育むことになります。
言葉だけで誤解を解こうとしたらかえって火に油を注いで
しまうことや「やっぱりお袋は…そうなんだ…」と
さらに余計な誤解を生んでしまうことだってあります。
過去の出来事までさかのぼって「どうしてあのときは…」と
問い詰められてしまったり話が思わぬ方向へと深まりたりして
親子の関係そのものが冷えてしまうこともあるでしょう。
さらには誤解を解こうとするその言葉が「また言い訳してる」と
受け取られて、信頼の「通帳」から残高を引き出すばかりで
信頼を使い果たして消えていく…なんて切なすぎます。
だからこそ相手に聞く耳がないと感じたときは
誤解を解こうとするのを一旦保留にする勇気も必要です。
誤解されたままでいるのはとてもしんどいですけどね。
でも関係性がこじれるくらいなら今は静かに距離をおいて
「いつか伝わるときが来る」と信じて黙って待つ。
それもまた母からのひとつの愛情のかたちかもしれません。
必要なときに必要なことだけを伝える親心があるように
想いをすべて語らずに変わらぬまなざしで見守ること。
うまく話すよりも「いつ、どう沈黙するか」は大切です。
迷っているとき、悩んでいるとき、もがき苦しんでいるとき
私たちの心の声を静かに聞いてくださる仏さまのような
慈しみの心を持つのはなかなか難しいことでしょうけど。
でも、すぐ誤解を解くのではなく、あえて何も言わない。
そんな在り方ができたらステキだろうなぁ…と思います。