同じ読経でも声に心が乗る

2025年4月3日(木)


お寺に戻って間もない頃はお経を読むときに
周りのお坊さんたちのように朗々とした声で
おつとめできなくて無理に声を張っていました。

学生から社会人になって会社で働いていても
声を張るような場面がないので大きな声で
お経を読むのに馴れるには時間がかかりました。

少しずつ張りのある声になっていったようで
しだいに師僧の読むお経と声がよく似ていると
言われるようになってホッとしたのを覚えています。

月々のお参りにいくお宅のご年輩の檀家さんが
あるとき「和尚さんらしい声になったねぇ」と
ふと言ってくださったのはすごく嬉しかったです。

宗派を超えたお坊さんの集う場に参加していて
とある先輩のお坊さんにも「声がいいねぇ」と
言っていただいたときもありがたかったですね。

先日のご法事をおつとめしたあと帰り際に
「和尚さんのお経は心がこもっているから
好きなんですよ」とお檀家さまに言われました。

親戚のご法事のときに別の宗派の和尚さんが
お経を読んでご廻向してくださったんだけど
心がこもっているように感じなかったんですよ、と。

朗々とした声でお経を読むわけでもなければ
やる気なさそうな感じでチャチャっとおがんで
サッと帰っていかれてなんだかなぁと感じて、とも。

お経を読んでご廻向しておつとめするときに
亡き方に想いを寄せることに集中して読経して
真心からお念仏するように心がけています。

生前にご縁のあった方の場合は在りし日の
お姿を偲びながらおつとめをしているとき
ふと何かの場面が思い浮かぶこともあります。

そのときは直接ご縁のなかった方だったので
ご参集された皆さまの想いが届きますように
という願いを込めながらおつとめをしました。

声を誉めてくださるのももちろん嬉しいですが
心がこもったお経だったと言ってくださるのは
声を誉められるよりもはるかに嬉しかったです。

それと共にいつでも心をこめておつとめをしないと
私の心の内って声に乗って伝わっていくものだから
常に気をつけおつとめしないと…と思ったご縁でした。