あいまいな喪失でもできることを

2024年5月11日(土)

240511
大切な人が亡くなったことは頭でわかっていても
心が実感していなくてまだどこかにいらっしゃる
ような気がするという感覚の方は結構多いです。

一周忌のご法事の頃はまだ実感が湧かなかったけど
三回忌を迎えてようやくもういないんだというのが
ジワジワと実感してきているという話を伺いました。

2年前というと世の中はコロナ禍の真っ直中で
病院や施設では面会させてもらうことができなくて
ずっと会うことができなかったという状況でした。

そのため会いたくても何年も会うことがかなわず
職員さんたちがタブレットで画面越しの面会を
させてくれていたけど会えた気はしなかったそうです。

画面の向こうに顔が見えて声は聞こえるけれども
会えない間に弱って衰えて変わってしまっているし
こちらの様子はよく分かってもらえていないし。

話ができる間に会わせてもらいたかったけど
会っていいと言われたときには容態が悪くて
ただただ見送るしかできなかったそうでした。

そうした状況だったのでお葬式をしたあとも
まだ行ったら会えるような感じが残っていて
いわゆる「あいまいな喪失」を抱えておられました。

四十九日の法要でも一周忌のご法事のときも
「さよならのない別れ」にモヤモヤされていましたが
三回忌を迎えて少しずつ落ち着いてこられたようです。

一つには時間が経ったということもあるでしょうが
手を合わせることを続けながらご法事を重ねてきて
少しずつ心にしみ込んできたというのもあるでしょう。

ただ手を合わせてお念仏することしかできなくても
その「いまできることを続けていく」というのは
大切なことだと教えていただいたように感じました。