怒りに気づいて手放す

2024年3月1日(金)

240301
苦情があって改善のお願いを電話していたのですが
要点が伝わらないので何度も説明したにも関わらず
話を理解してもらえないことに「はぁ?」っとなって。

意図しているものと違う受け止め方をされたまま
自分たちは悪くないと言って引き下がらないため
ついカチンとなって理屈の勝負をしてしまいました。

それでもああだこうだと言って理解してもらえないので
上から抑えつけるように論理的に説明しなおしたら
最終的に相手の理屈をへし折ることになりました。

「こちらが悪かったです、すみません」と言うけど
(謝ればいいんでしょ!)という心の声がダダ漏れで
形だけ謝っているんだなぁとしか聞こえませんでした。

その謝罪の言葉があまりにも空虚に聞こえた瞬間に
(あぁやっちまった)と思わず反省したのですが
熱くなりすぎて挙げた拳を下ろすので精一杯でした。

理屈の勝負には勝ったのに心はグジャグジャだし
怒りの炎はゴウゴウと燃え盛ったままだったので
炎に自分が燃やされてしまうようで虚しくなりました。

怒りも虚しさもそのまま引きずりたくなかったので
別のことに気を向けようとしましたがうまくいかず
最終手段である仏さまにすがることにしました。

本堂にいってご本尊の阿弥陀さまの前に坐って
「こんな私をなんとかしてください」と願って
懺悔のこころを込めて木魚でお念仏してきました。

誰かに話して聴いてもらうこともできるでしょうが
話すためにあの時のことを思い返していたら
また怒りが再燃してしまいそうで嫌だったんですね。

思い出すだけでも怒りが湧くというのは嫌なので
一刻でも早く手放したいときには阿弥陀さまに
「助けてください」とお念仏するのが一番ですね。

理屈の勝負はしたらいけないと思っているのに
あまりにも伝わらず感情的になって怒ったので
また繰り返さないようにと猛省しています。。。