姿が見えなくても存在を感じる 2022年10月5日(水) 先日の東京からの帰りに富士山を眺めたらほぼ雲に隠れて裾野しか見えませんでした。ふとそのとき思い出したことがありました。 この頃は葬儀後の七日参りが減ってますがお宅に来てもらう代わりにお寺に行くのでお勤めして欲しいという方がおられました。 お宅にお参りできないことはありませんが家から外に出ると気分が変わることもありお寺の本堂にお参りする方が良いそうです。 出かけるとき思わず亡き方に声をかけたり早く帰ってあれこれしなければと思ったりまだ亡くなられたことを忘れがちらしくて。 頭で分かっていても心が追いついてなくてもう居られないんだとハッと気づいたとき無性に寂しくなって辛くなると仰いました。 雲に隠れた富士山のように姿は見えずともとてもとても大きな存在であったからこそ今もお側に居られるよう感じるのでしょう。 それだけ大切な方でいらしたのでしょうね。 シェア Tweet