いつか分かるときがくるまでの種蒔き
2020年11月28日(土)
「若かった頃は親父が言うことには反発ばかりしていたけれども
今ごろになって親父の言いたかったことが分かってきましたよ」
25回忌のご法事のあと思い出話の中で息子さまが述懐されました。
お父さまはとても生真面目な方で息子さんには厳しかったそうです。
反発していたので高校を卒業後に家を離れて仕事に就かれたのですが
お二人の男の子を育ててきた中でお父さまのことはよく思い出されたとか。
ふと気づいたら息子さんたちに対してお父さまと同じことを言っていたり
同じような態度で厳しく接していたことにハッと思うことがあった、と。
「親父には自分のことをもっと認めて欲しかったんだと思います」とのこと。
面と向かっては素直にありがとうと感謝の言葉を述べられなかったけれど
先代さんから「いつどこででも手を合わせてお念仏したら供養になる」と言われて
とてもホッとした気持ちになったし実際にその通りにやってきました、ともおっしゃいました。
こうして聴かせていただく言葉の中に私自身も先代から教え諭されることもあるものです。
人から人へ伝えられた言葉がまた時を経て人から人へと伝えられて受け継がれていく。
さまざまな繰り返しがあって手を合わせることも受け継がれてきているのでしょう。
平和大通りの緑地帯にあるヤツデの花がひっそりと咲いていました。
手前の細い弁が突き出た白いのが雄花で奥の緑の玉のようなのが雌花です。
この花が咲くからこそ種を実らせて命がつながっていくのですね。