お経の丁寧なおつとめというのは

2020年6月19日(金)

200619
ある程度慣れていてゆったりとしていると丁寧なお経っぽく感じるかも知れません。
でも丁寧なおつとめと感じるかどうかは個々人の感じ方ひとつで変わると思います。
ある人が指摘したお経の丁寧さの基準に「ハァッ?!」てなったときでした。

お寺に戻って間もない頃に師僧が留守で初めてお葬式を勤めたことがありました。
お通夜もお葬儀も初めてのことで何をどうしたらいいのか分からず焦ってばかりで
お寺にあった資料を大慌てで探し出して訳も分からぬ中を必死におつとめしたの思い出しました。

いま振り返っても謝っても許されぬくらいのたどたどしさだったと変な汗が出そうになります。
こんなに何もできない者が坊さんと称して他人様の前でおつとめして話もしていいものだろうか…
奈落の底に突き落とされたような絶望感からこのままでは人前に立つ資格がないと真剣に学び直しました。

3回忌のとき「お葬儀が初めてで本当に至らなかったと申し訳なく思います…」とお詫び申しあげたら
「そんなことなくて、一生懸命さが伝わってきてとても丁寧で有り難かったですよ」と言ってくださいました。
やさしさを込めてくださったお言葉でしょうが今でもにこやかに接してくださいますので全くの嘘ではないでしょう。

お経の丁寧なおつとめというのはあくまで個人的な感じ方によって変わるものだと思います。
でも、精一杯に心を込めて執り行い、参列の人に丁寧と感じていただけるようであるためには
初心忘るべからずで、忘れてしまいたい最初の苦い経験を思い出すことも時どき必要ですね。