あいまいな喪失をさまざまに抱えて
2020年5月11日(月)
オンラインでコロナウィルスによる喪失を考える集いに参加しています。
前2回は世界各地で諸宗教が死の儀式を変容させられていることについてでした。
今回はコロナウィルスによる喪失についての嘆きや悲しみなどについてでした。
単に嘆き悲しむといっても心の穏やかさや安定感や日常を失うことにも触れていて。
先が読めない中でいろんな小さな喪失が多重多層に折り重なっている現状を踏まえ。
否定するものでもないし和らげる必要もないし各々で多種多様であって構わないことを英文で読みました。
グリーフケアで触れた「あいまいな喪失」が記事では「ambiguous grief」とありました。
人は基本的にあいまいな状況を避けるのを好み「白か黒か」のように何かに決めつけておきがちです。
あいまいさを抱えているのはとても消耗してしまうから決めて動くことに慣れている、とのことでした。
今こそありのままに自分を認めて他人をもありのままに認めることは大事ですね。
双子も指の指紋が違うように人それぞれ喪失への反応は違っていて当たり前なのですから。
日常が一変してできなくなったことがたくさんある状況が続いているのは誰にとっても辛いことですので。
それだけに人と違うことを怖れたり異質を排除する風潮がとても強まっているのを憂慮しています。
人それぞれのやり方で自分なりの喪失への反応をしても誰も咎めないようであるといいですね。
気づいていない喪失やさよならのない別れなどあいまいな喪失をさまざまに抱えていても良いのですから。