爽やかな檸檬の香り

2019年6月12日(水)

190612
出先でふと目に留まったのは熟して落ちた檸檬でした。
拾ってみると実が少し割れたようで良い香りがしていて。
胸一杯に香りを楽しんでまた元に戻しておきました。

先日とあるところで「浄土宗ってこんな教え」という簡単な説明をするご縁がありました。
仏教用語を使わないで池上彰を手本に噛み砕いたり咀嚼したりした甲斐あって分かり易かったようです。
その後の一言目が「家の宗派はいろいろあっても自分では好きな宗派を選んでいいということですね」でした。

そうしたことには全く触れていなかったので非常に驚いたと同時に何だか嬉しくなりました。
家の宗派は生まれたときや結婚したときなどに付帯して決まってしまっているものですが。
このご時世では信じるモノは自分で好きに選んでも全く差し支えない(はず)です。

お釈迦さまは人としての尊さは生まれによらず行いによって決まるとおっしゃいました。
であれば自分の信じたいモノも生まれによらず自分で選ぶのは全く差し支えありません。
そんな境地を言外に汲み取っていただけたことは望外に有り難いことでした。

熟した檸檬の実を拾って匂いを嗅いだとき米津玄師さんの歌を思い出しました。
歌詞にある「苦いレモンの匂い」ではなくて何とも爽やかな香りに感じられました。
好きなモノを信じていいということですね、と言われたあの日の驚きのように。