寄り添いたい気持ちが通じたのでしょう

2018年12月22日(土)

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「このたびは丁重なお葬式をしていただきまして本当にありがとうございました」
斎場の炉前室でお見送りした後に喪主さまが深々と頭を下げておっしゃいました。
後に続かれたご親族も「ありがとうございました」と皆さまが丁重にお礼の言葉をくださいました。

今回に限って枕経でも通夜でも葬儀でも何か特別なことをしたという訳ではありません。
とはいえ何が要因だったのか気になったのでお寺へ戻る車中で振り返りました。
特に思い当たることはありませんが敢えて挙げられるのは突然のお別れだったことかも知れません。

亡くなる時にはピンピンコロリと逝かせてもらいたい、ということをよく聞きます。
長患いして身内のお世話になるのを避けたいとか手を掛けたら申し訳ないという想いからおっしゃる言葉です。
でもお元気だった方と余りにも突然すぎるお別れをしなければならないのは遺される方には非常に辛い出来事です。

今回はまさにその突然すぎるピンピンコロリのお別れでした。
喪主さまをはじめご遺族の皆さまはお気持ちが追いついていないご様子でした。
そうしたご様子でいらっしゃることにしっかりと配慮するよう心がけたつもりでした。

お通夜でもお葬儀でもそのあたりに配慮して話をしました。
恐らく寄り添いたい気持ちが何かしら通じて幾らか伝わったのでしょう。
それが冒頭に書いたお見送り後のお言葉をいただくことにつながったのだと思います。

単におつとめのお作法だとかお通夜やお葬儀での法話を学んだだけではお言葉をいただくことはなかったでしょう。
さまざまなご縁の中からグリーフケアについて触れる機会があり足を運んで学んできたことであったり。
いろいろなご縁が重なって臨床仏教師の養成プログラムを受けてきたことがあってのことだと思います。

ふと先日の臨床仏教師の次へ進む試験を受けていた待ち時間に隣の方と話した言葉を思い出しました。
「こうやって時間も労力もお金もすごく費やして臨床仏教師になったとして何になるというのでしょうね」
その時には「好きでやっていること」なのだという答えが一番ピッタリのような気がしていました。

新しい答えがさらに一つ見つかりました。
「生老病死の苦しみを抱えた人に少しでも力になれること」がもっと自然とできるようになりたいから。
だからたとえ難儀な道であっても臨床仏教師の次の課程へ進みたいとさらに強く願うようになりました。