哀れみを感じた差を

2018年10月26日(金)

181026
緑色のカメムシが地面に転がった状態で命終の刻を迎えていました。
その近くで生きているような姿勢のままで命終の刻を迎えていました。
理由はわかりませんが足をかけたままの姿であったことに妙に哀れに感じました。

一生を終えていたことには変わらないのに哀れみの感じ方に差があったのです。
どこでどのような状態で命を終えようと命の灯が消えたことは変わらないのに。
それなのに勝手に哀れみの感じ方に差をつけてしまっていました。

短い命が故に哀れみを感じる虫というとセミを思い浮かべます。
そのセミが実は分類上ではカメムシと同じ「カメムシ目」だったりします。
そのことをハッと思い出した瞬間にドキッとしてしまいました。

命に差はないと思いながらも無意識のうちに勝手に差をつけている私がいました。
平等の慈悲を説く教えを受けていながら差別をしている私がいたのです。
カメムシたちが命終えたことにお念仏を申しました。

そして自分が色眼鏡をかけてしまっていたことを悔い改めようとお念仏を申しました。
頭では分かっていても出来ない平等な心というのは厳しい道のりです。
他の色眼鏡にも気づけるようになって外せるようになりたいものだと思っています。