当たり前の向こう側を見抜く目を

2018年10月1日(月)

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台風が迫りつつあった土曜日の夜に高校の同級生が帰広してきました。
海外赴任先から仕事の関係で帰国して実家に戻る前に集まったしだいです。
声を掛けて出てきた仲間で彼を囲んで語り合う楽しい時間を持ちました。

外国では医療機関にかかるときの費用負担が非常に大きいそうです。
手術前の病床で医師ごとの治療費一覧が示されて誰に頼むか選ばされる、と。
そこには年齢や肩書きや成功率なども明記されているというから驚きました。

日本では健康保険のおかげで3割程度の負担で済むことがほとんどです。
しかも医師によって治療費が変わってくるような場面には遭遇しません。
これは世界中でも極めて例外的な状況だということを初めて知りました。

極めて恵まれていると知らずに当たり前だと思っていることは他にもたくさんあることでしょう。
それ当然のように享受できる環境に暮らせている有り難さを知らずに不平不満を膨らませている・・・
そうしたことが身の回りにどれくらい有るのか申し訳ないと思いますが当たり前である身にはわかりません。

狭い中にばかり居ないで時には広い世界へ飛び出していくことも大事だと改めて思いました。
といっても哀しいことにすぐにどこかへ旅に出られるわけではありませんが。
せめて昨夕の台風一過の不思議な色合いの夕景のように普段と違う世界が目に映るようではいたいと思います。

すかさず目に映る不思議な夕景を写真に納めようとしましたが、どうやって撮っても似せられませんでした。
もしかしたら自分で見ているつもりの世界は自分の目が見たいようにしか見えていないだけじゃないのかと思えてきました。
当たり前のように思っていることは実際には当たり前ではないことのほうが大半以上だと思っていた方がいいような気もします。

当たり前を鵜呑みにせず当たり前の向こう側を見抜く目を持ちたいものです。