喜捨と思うか徴収と感じるか

2018年3月20日(火)

180320
お寺での催しごとでは会費や費用が決まっていないことがあります。
講師をお招きした場合だと会費で賄うようにお願いする場合もあります。
でも特に謝礼も不要で営利目的で行っていない場合には「お気持ちで」と言う場合もあります。

他所でお勉強する場に誘われて行っていたという方がボソッとつぶやかれました。
わずかな額だとしても「取られた」感じがして心に嫌な気分を抱いてしまったんです・・・
会費不要だと聞いていたところ、決して無理のない額だけど集める係の人がいたためだそうです。

要らないと言われていたのに、後からお願いされると、徴収された感が拭えなくなってしまうと思います。
最初から「お気持ちお願いします」と聞いて知っていたら、自分で喜捨したのだという感じになれると思います。
同じわずかな額を財布から出すのでも、どのような感じを抱いて出すのかは、雲泥の差を感じるものです。

私も「お気持ちで」と言う場面はいろいろとあります。
その時に徴収された感を抱かれることのないように気をつけたいと思います。
喜捨という文字の通り、自分で喜んでお供えしたと思っていただけることを心がけたいものです。