現代社会における臨床仏教師の使命【臨床仏教公開講座 第10講】

2018年2月20日(火)

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臨床仏教公開講座の第10講を前回につづき花園大学の教堂で拝聴してきました。
『現代社会における臨床宗教師の使命 〜生老病死の苦しみに寄り添う〜』という講題のお話でした。
前半が花園大学丹治光浩学長、後半が臨床仏教研究所の神仁上席研究員のお話でした。

「異文化に触れたり人生を広く深めて自分自身を成長させようという心がけを」(丹治学長)
「死が遠くなり生老病死がみえないことが現代社会の苦しみにつながっている」(神師)
「ジブンヲカンジョウニ入レズニそしてデクノボートヨバレるようであること」(神師)

臨床心理士としても活動された丹治学長は、僧衣には白衣とは違う力があると仰いました。
神師は、初回に続いて今回も台湾の国立病院では尼僧さまが僧衣で活動をされていると仰いました。
活動領域に準じるという大前提がありますが、僧衣であることは時と場合によって大事だということです。

神師はスピリチュアルケアではなくて、あえて「いのちのケア」という言い方をされています。
その「いのちのケア」では、自己のつながりと、他者とのつながりと、偉大な存在とのつながりを説かれます。
「Self」と「Society」と「Something Great」という3つのSが「いのちのケアモデル」だそうです。

また神師は臨床仏教師に求められる力として7番目に「耐える力」をおっしゃいました。
実際の活動領域では、ただの一人の人間でしかないから、ということです。
その大前提として世間の常識を備え持った社会性が欠かせないということでした。

今日まで全10講を拝聴してたくさんの学びを深めることができました。
でも臨床仏教師になる道は、まだ果てしなく遠くて狭き門ということも知りました。
たとえ門を潜ることができなかったとしても、今は歩んでいきたいと思っています。