雨に思う仏教の偉大さ

2017年10月6日(金)

171006
今日は木を洗い流してピカピカにしてくれる雨が降っています。
ラジオから流れてきたリスナーの投稿メッセージの言葉です。
水に流すとか水で清めるという感覚は広く共感できるものでしょう。

仏教の儀式でもさまざまな形で水が用いられたお浄めがあります。
予め用意しておいた浄水のこともあれば、その場で浄めた浄水のこともあります。
時には由緒あるところから湧き出る水そのものを用いることもあります。

私にはこれまで縁がありませんでしたが自分自身を浄める滝行や水行もあります。
宗派を超えて多くのお坊さんと知り合う中でいろいろと学ぶことがあります。
想像を絶する厳しい行をされたという話に驚くことも案外と多いものです。

そうしてさまざまなことを教わると良いことがたくさんありました。
他宗派を知ることで自分の宗派の魅力を新たに発見できたことです。
他宗派を尊重することで自分の宗派をもっと好きになれたことです。

いろんなことを雨のように浴びることで自分の偏った眼が洗い流されて浄められました。
澄んだ眼で仏教を見られるようになってピカピカの仏教が眼に飛び込むようになりました。
仏教ってやっぱり偉大だなと思いながら今日はザーザー降り続ける雨の中を歩んでいました。