ご供養もお葬儀も「儀式」は大切です

2017年10月14日(土)

171014
法務で立ち寄った墓苑の雨に濡れそぼった六地蔵さまです。
お供えされた花が枯れてそのままになっていたのが気になりました。
何だか申し訳なかったのですが、せめてもと手を合わせてお念仏申しました。

あの時きちんとしておくべきことをしなかった、というのは気になるものです。
でも気になるという気持ちは、時が過ぎゆくなかで薄らいでいき、いつしか忘れていたりします。
ところが、何年いや何十年も経っていても、何かのきっかけでふと脳裏によぎることがあります。

昔、気になりながらも、ご供養をしないままだった・・・
今とても悩んで心を痛めることが立て続けに起きているのはどうしてだろう・・・
もしかしたら、あの時のことが今になって何か影響しているのではないだろうか・・・

そんな思いを抱いてお寺に来られる方がいらっしゃいました。
時を経てでも、お寺でご供養をして欲しいと願われたことは、尊く有り難いことです。
気になっていらっしゃることをお聞きした後に、丁重にご供養をいたしました。

特定の一つの何かだけが原因で特定の何かが起きる、ということはありません。
仏さまであれば、複雑な縁で結ばれた因と果の関係がおわかりになるでしょう。
でも私たちには、とてもとても因と果のつながりはわかりません。

一つだけ確かなことがあります。
ご供養などをした方がいいと思うときは、必ずどこかでしていただかれるように、ということです。
そうしたら時を経て「あの時のことが気になる・・・」という悩みを抱くことはないからです。

昨今のお葬式を省略して亡き方をお送りされていらっしゃるのも同じことになるのではないかと思います。
仏式に限らずどのような形であっても「儀式」というものは大切にしていただきたいものです。