無常の風は隔てなく、なのに

2020年6月5日(金)

200605
数年前に食べたグレープフルーツが種から根が生えはじめていまして
気まぐれで植えてみたら発芽して葉を茂らせるようになりました。
肥沃でない土に植えたようで大きく育っていませんが毎年新しい葉が茂ります。

今年もアゲハチョウが飛んできてグレープフルーツにアオムシが育っていました。
鳥が啄んだ時にはそれまでのことと思っていましたら2匹のアオムシが大きくなりました。
そのうちの1匹がそろそろ蛹になろうとしていたのですが今日見たら姿が消えていました。

グレープフルーツの葉をたくさん食べてここまで大きく育ってきて愛着も湧いていて
蛹になって羽化して大空へ羽ばたいていくのを見守れるのを楽しみにしていました。
しかしながら無常の風は隔てなくて飛来したムクドリの餌食になってしまったようです。

せめて残り1匹のアオムシだけでもアゲハチョウになってもらいたいので避難させました。
もっと早くグレープフルーツの鉢を中に移してやっていればもう1匹も無事だったでしょうが・・・
でも、もしもこれがアオムシではなくて見た目が違った虫の幼虫だったら同じく避難させたかどうか。。。

もちろんアオムシを啄んだ鳥にとっては命をつなぐ餌食なのですが・・・
う〜ん・・・心に抱く想いというのは自分勝手でワガママなものだと思います。。。
そんなこと考えていたらふとお釈迦さまの「樹下観耕」のエピソードを思い出しました。

 まだ王子のころ木陰で農夫の仕事を見ていた時に農夫の耕す傍らに小さな虫が這い出てきました。
 飛んできた小鳥が虫を啄んだら更に大きな鳥が小鳥を捕らえて飛び去っていったのです。
 弱肉強食の過酷な現実をご覧になってこの世の無常を感じ深く心を痛められたと伝わります。

 弱いものが強いものの餌食にされてしまってもよいのだろうか
 たとえ現実はそうだとしても許されてはならないのではないか
 その想いから出家して菩提の道を求められたというお釈迦さまのエピソードです。

どうやっても私にはアオムシが餌食になったことで何か大きく変わるようなことは起きません。
他人様には「明日は我が身であることを想って自分のゆく道を考えてください」と申しておきながら
すぐに自分には縁がないと思う自分に戻ってしまうことの愚かさを哀しく想うのが関の山です。。。