近すぎない人だからこそ

2026年5月30日(土)


「レンタルお母さん」や「レンタルなんもしない人」
というサービスについての朝日新聞の記事を読んで
なるほどなぁ…と考えさせられることがありました。

家族でも友人でもないけどまったくの他人でもない
という近すぎない程良いくらいの距離感にいる人に
話を聞いてもらうサービスを利用する人たちがいて。

パッと見ただけだと不思議なサービスっぽく思えますが
一定数の需要があって利用している人がいる背景には
現代人の孤独や生きづらさがあるような気がします。

家族だからこそ近すぎて言えないこともあるでしょうし
友人には重たすぎて遠慮して話しづらいこともあるでしょう。
近い人には気を遣うけど、でも誰かに聴いてほしいときもあって。

一時的につながる「近すぎない他人」だからこそ
心の内を吐露できるのかもしれないなぁと思いました。
その距離感のおかげで気兼ねせず話せたりするのでしょう。

記事の中で印象的だったのは「本当に来てくれた」
それだけで安心した、という利用者の言葉でした。
この感覚は今の時代を映しているように感じました。

スマホを開けば誰かとつながることができて
AIとも気軽に会話できる時代になったけれども
生身の人間と会うのは特別な感じがあるのでしょう。

コロナ禍ではオンラインで顔が見えるだけでも
嬉しかったものですが、外出できるようになると
リアルで会えたことが嬉しかったのを覚えています。

東畑開人さんの著書『居るのはつらいよ』のなかで
人を支える場には「何かをする」以前に
ただ一緒に居ることの大切さが語られていました。

でも実際には「ただ居る」ことは意外と難しいです。
相手に求められていないのに、良かれと思って
つい励ましたり解決しようとしてしまったり、とか。

何も特別なことはできなくても、ただ一緒に居ること
だけはできるし、何も気の利いたことは言えなくても
ただ「うんうん」と聴くことだけならできるでしょう。

煩わしい人間関係は嫌だし近い人には本音が出せないけど
わかってくれる人が欲しいし安心して居られる場所も欲しい…
だからレンタルという一時的な関係性がいいのかもしれません。

生きづらさを抱えながら生きている人にとっては
安心して居られる場所や人とのつながりが
一つでも多くある方が生きやすくなるでしょうね。