どっちを選んでも後悔する
2025年6月19日(木)
ご主人を病気で亡くされた方の法事がありました。
止めたらと言っても本人はあれこれ言いながら
嗜好品を嗜んで好きなモノを止めなかったそうです。
だから病気がわかって医師からストップがかかって
ようやく本気で止めなきゃって思いだしたけれど
それでも好きなモノは最後まで止めなかったらしく。
そんなご主人を見送ったからこそ自分自身は
元気で長生きできるようにしたいと思っていて
小まめに検査を受けて節制されているようです。
その一方で身体に良くないからアレもダメとか
コレもダメとかいろいろ控えるように言っていた
ご家族を亡くした方は逆のことをよく言われます。
お葬式の控室だったりその後の法事の席だったり
ご遺族の言葉に耳を傾けているときによく聞くのが
「もっと本人の好きにさせてあげればよかった」です。
少しでも長く生きていてほしいし一緒に居たいから
身体に良くない嗜好品や好物を控えるよう言ったけど
亡くなったあとになって皆さん後悔されるんですよね。
節制して控えるように言い続けても後悔するし
本人の思うようにしていいと思っても後悔するし
どちらの立場を選んだとしても後悔するのでしょう。
それは亡き人が自分の大切な存在だからなのですが
その人のことをその人の立場で考えられるように
なれるのはその人がいなくなった後なんですよね。
ご健在な間はどうしてもその人の立場で考えるより
自分の立場でその人のことを考えてしまうから
どうしても自分の目線でしか見られないのでしょう。
私は両親ともまだ健在ですが自分自身が親に対して
どういう目線でものを見て言葉を発していくだろうか
と考えるとやはり自分中心になりそうな気がします…
頭で分かっていても実際には難しいでしょうねぇ…