何か食べるモノをくださいと言われて…

2024年9月18日(水)

240918
お昼の少し前にお寺を訪ねてきた人がいました。
インターホンを鳴らして「生活が苦しいので何か
食べるモノをもらえませんか」と言う男性でした。

「少しお待ちください」とインターホンを切って
何か食べるモノっておむすびとかお弁当とか
適当なものがないか探したけど買い置きがなくて。

何か差しあげることができるモノがないかと
見渡したとき目に付いたお菓子を袋に入れて
本堂のインターホン前に持っていきました。

「今すぐ用意できたのはこれだけだったんですが
良かったらどうぞお持ちください」と渡すと
「ありがとうございます」と返事をされました。

ほとんど洗濯されていないボロボロの服で
手には他所でもらったと思われるモノが入った
ビニール袋をいくつか提げておられました。

すぐ帰ろうとされたけどこのまま見送るのは
気がひけたのですが何もできなくて思わず
「普段はどうされているのですか」と尋ねました。

生活保護を受けているというので住むところは
あるということですが受給される分だけでは
食べていくのが難しいということでした。

臨床仏教師の現場実習でひとさじの会に参加して
上野公園を歩いている時に出会った人たちのほうが
表情が明るくて服装も身体も清潔だったんですね。

そうした人たちよりも難儀そうな状況の人が
広島にも居て食べるモノに苦労されているのを
目の当たりにしたという衝撃は大きかったです。

その瞬間に何かもっとできることはないかという
気持ちはあってもすぐには何も思いつかなくて
ただ少し声をかけるだけしかできませんでした。

自分がそれだけのことしかできなかったことも
広島でも路上ではないけど食べるモノに困って
苦しんでいる人がいらしたこともショックでした。

でもまたもし同じ人がお寺に来られたとしても
どうしたらいいのかも自分には何ができるのかも
考えがまとまらなくて今も頭がグルグルしています。

一時的な飢えをしのぐサポートも大事でしょうが
何がその人にとって良いご縁になるのかと思うと
どういう手の差し伸べ方があるのかわからなくて。

自分にできることには時間的にも労力的にも
どうしても限りがあるなかで何ができるのか
何はできないのかの線引きって難しいですね。

いろいろと考えさせられることの多いご縁でした。