法話実演の聴聞から気づかされる
2024年6月21日(金)
浄土宗の中四国地区のお坊さん研修会2日目は
松江のお寺3箇所に分かれて法話実演の拝聴です。
地元広島の若手僧侶が実演するお寺に伺いました。
会場のお寺の檀信徒さまも聴きに来られていますが
席に着いている聴衆のほとんどはお坊さんなので
反応は薄いしあまりうなづいてもくれません。
そのためこの法話実演の研修は話しづらいんです。
今回は広島と山口から各1名が実演されましたが
特に広島の方はかなり緊張されたご様子でした。
お二人の法話実演が終わったら休憩を挟んでから
お役に当たった上の人が講評を話されるので
参加している私たちもいろいろ聞けるんですね。
ところが今回は講評がとても甘めの内容でして
サラッと表面をなぞるような指摘が多かったので
せっかく頑張って話したのにお気の毒でした。
時間をかけて一生懸命に考えて用意してきた
法話の実演をしたというのに特にこれといった
コメントをいただけないのでは勿体ないですね。
広島の方は話の内容はずっと素晴らしいけど
時間を持たせようといろいろ詰め込み過ぎで
そのため話に深まりが出ないのは惜しいです。
かつて私も布教法話の研修を受けていたころに
一つに絞れと言われても無理と思っていましたが
聴き手側になると絞れという意味がよく分かります。
ほかにも「えー」とか「あの−」とか多いですし
話しはじめる最初の言葉が否定になりがちなのは
癖なのでしょうが意識していけば変えられるでしょう。
このつなぎの言葉や最初の言葉が耳に障るのは
Voicyの収録で自分の話を自分でも聞くというのを
続けていくうちに気づいて変えようとしました。
細かな指摘はもっとさくさんあるのでしょうけど
若いお二人が一生懸命に話そうとされていたのは
その一生懸命さが伝わってきて好感が持てました。
私だったらこう言ったりこういう話にしたりするなぁ
と思いながら聞いていると自分でも話したくなりますね。
ともかくお二人のおかげでたくさん気づきがありました。