正しさの押しつけにご用心!

2024年5月15日(水)

240515
いろんな宗派のお坊さんと携わるお仕事の方から
教えていただきたいことがあるのですがと質問され
私でわかることでしたらとお話を伺いました。

「お坊さん」と声を掛けるのは失礼でしょうから
いつもは「先生」とお呼びしているのですが
それでは失礼じゃないかと言われたことがあって。

「おしょうさん」「ほうじょうさん」「ごいんげさん」など
宗派によってお坊さんの呼び方がさまざまあるけれど
どのようにお呼びしたらいいんですかと尋ねられました。

確かに宗派ごとにいろんな呼び慣らしがあって
ほかにも「お上人さん」「かしょうさん」とか
「わじょうさん」というのもありますからね。

宗派ごとに呼び分けるというのは丁寧でしょうが
地域による違いもあるしお坊さんの個人的な
好みで呼ばれたい呼称がある場合もありまして。

時には「住職さん」と言われることもありますが
副住職とか職分がないと違和感があるでしょうし
お坊さんをどう呼ぶかは意外と難しいんですね。

浄土宗では「和尚(おしょう)さん」というのが
一般的ですし世間一般でもおしょうさんというのは
何となく問題なさそうな気がするかなぁと思います。

どうして質問されたのか理由を尋ねてみたところ
そこの利用者さんから「お坊さんに先生というのは
失礼に当たるのではないか」と言われたようです。

大概の葬儀社さんでは「先生」と呼ばれているので
お坊さんに先生と呼びかけるのは問題ないでしょう
ということをお伝えしたらホッと安堵されていました。

ここで気になったのは利用者さんの尋ね方です。
先生と呼ぶことに違和感を抱かれたのは構いませんが
他の人にも違和感を押しつけている感じを受けました。

「お坊さんを先生というのは違和感があるけど
どうして先生と呼んでいるのですか」と尋ねるなら
先生と呼ぶことを否定していない聞き方になるでしょう。

自分の感じ方や考え方はあくまで自分の基準なので
他の人の感じ方や考え方と違うことは当然あります。
小さな違いから大きな違いまで千差万別あるでしょう。

でも自分が正しく他の人が間違っていると思うのは
個人的な意見の押しつけになってしまうでしょうから
あまりオススメできない思考の癖ではないですかね。

自分を基準に「それって違うんじゃない?」と言うより
「それってどうして?」と違いの理由を尋ねるほうが
多様性に寛容なやさしい考え方でいられるでしょう。

違いを認めて違いを理解することを大切にして
お互いを尊重しあう世の中だといいなぁと思います♪