お坊さんも人間だから息を抜くけど

2023年12月11日(月)

231211
お宅でのご法事のあと予定が空いていたので
ご家族の皆さまと一緒にお茶をいただきながら
ゆったりお話をしていたときに尋ねられました。

お孫さんがお寺の幼稚園に通っている話題から
奥さまの地元のお寺は兼業の住職さんが多いけど
広島市内のお寺はどのくらいが兼業なのか、と。

お寺によって専従できるところもありますが
兼業で成り立っているお寺も一定数はあって
田舎に行くほど増えるように思うと答えました。

過疎化が進んでいる地域ではお葬式のたびに
檀家さんが減っていく傾向にあることに加えて
引っ越して減っている場合もあると聞いています。

すると息子さんが歓楽街で丸刈りの一団がいて
少し羽目を外し気味に騒がしくしていたけれど
そういう余裕がある人たちもいるんですね、と。

確かに剃髪や丸坊主だと目に付きやすいでしょうが
丸刈りにする人がほとんどいない宗派があるので
広島では分かりにくい集団の場合もあるんですよね。

でもそうした方々の中には周りの目が気にならない
広島に出てきているから久々に安心して心置きなく
ハレの時間を愉しんでいるという例も多いです。

しかも周りが檀家さんだらけという環境にいて
ちょっとお寺から出ただけで噂が飛び交うという
息の抜けない方々の場合はそうなりがちですね。

「お坊さんも人間ですからね」と話していたら
「そうかそうか。お坊さんも大変なんですね」
ということで目撃談の見方が少し変わったようです。

耐え忍ばねばならない世界を仏教では娑婆と言うし
羽目を外したい気持ちが分からないでもないですが
違う息の抜き方もあるだろうに…と思ってしまいます。

本来は娑婆が娑婆でなくなることを追い求めて
そんな必要がない生き方を追う身のはずですが
お坊さんにもこの世は生きづらい娑婆ですからね。