モヤモヤのまま留めておくことも
2023年9月7日(木)
このところ周りに亡くなられる人が多いけど
そうした皆さんはどこに行かれたのでしょう
という質問をご法事のあとで尋ねられました。
仏教でお葬式をされても宗派が違っていると
皆さんの行き先はバラバラかも知れない気がして
皆さんどうなっているのかが気になっているそうです。
「同じかもしれないし違うかもしれないですが
それは自分自身が死んで実際に行ってみないと
絶対にこうなんだと言い切れないんですよね」
と申したところ「え〜っ」と驚かれたのですが
すかさず「私は阿弥陀さまの西方極楽浄土に
お迎えいただく予定ですよ」と申し添えました。
往き先は阿弥陀さまお釈迦さま毘盧遮那さま
大日さまお薬師さまなど仏さまの世界のほかに
神道やキリスト教やイスラム教それぞれあります。
そうした往き先が今の私たちから見たときは
違っているようだけど実際に往ってみたら
全てがどこかで繋がっているかもしれないし。
それは海や山の向こうや空のうえかもしれないし
目に見えていないだけで私たちのすぐそばか
全然違うところなのかも分からないですからね。
極楽も西にあるとはいえ宇宙規模の眼でみたら
西ってどこなのかというのも分からないけど
そう思ったらどの往き先も同じかもしれないですよ。
だから自分はここが良いという往き先を持っておいて
その先は往ってみたらどこにでも行き来ができて
誰でも会えると思っていてもいいんじゃないですかね。
というモヤモヤっとしたところを残した話をしたら
「そうですね、そのくらいでも良さそうな気がします」
ということで何となく落ち着かれたようでした。
「阿弥陀さまの西方極楽浄土です」と言い切らないと
もしかしたら浄土宗ラブの方に怒られるかも知れませんが
法然さまは今の時代ならどうお答えされるでしょうね。
多様性の時代に他人と余計な争いの種を蒔かないためにも
自分の答えを他人に押しつけないことも大切だと思います。