利他的な善意を甘受し続ける重苦しさ

2023年7月24日(月)

230724
少し前にコテンドクショで取りあげて読んだ
中島岳志さんの『思いがけず利他』のはじめにに
利他行為の押しつけがましさについて書いてありました。

押しつけがましさは時に暴力的な面が出てくること。
与えられると返さないといけないと思ってしまうこと。
返すことができないと支配と被支配の関係になること。

良かれと思って善意で何かすることってありますね。
最初はその人が善意を受けられることを喜んでいるのに
ずっとその関係が続くとその善意が重たくなっていく。

そして良かれと思って提供していた善意なのに
その善意に何も返せないままで居続けていることは
返せない負債を抱え続けるような重苦しさを感じさせる。

そういうことってあるんだなぁと感じることがありました。
お寺でご遺骨を預かって欲しいと頼まれていたのですが
しばらく預かっているけど今後どうするか相談したときです。

お葬儀のあと自宅に持って帰るのが難しいということだったので
先代住職が四十九日までひとまずお寺で預かることにしていて
その後も伸び伸びになって7回忌をお迎えしました。

お寺で墓じまいの心配がない納骨壇をつくるという話を聞いて
完成するのを待ちながら家の近所の墓地や民間の納骨堂なども
いろいろと見て検討したけど今ひとつ決めきれないそうです。

とはいえいつまでもお寺で預かってもらっているというのも
善意に甘え続けているのが心苦しくて申し訳なく思っているそうで
早く結論を出そうとは思っていて家族で相談しているようでした。

もしお寺の納骨壇で年単位ででもレンタルできるとしたら
利用してみたいと思いますかと思いきって尋ねてみたら
そういうかたちで預けられたら心苦しくなくて安心だ、と。

仕組みがあった方がお互い負担感がなくて良さそうなので
レンタルなのかサブスクなのかどういうかたちがいいか
今ある納骨壇とも絡めながら考えてみようと思いました。

何かアイデアがある方はヒントにしますので教えてください。
世の中の流れに合うかたちが見つかるようデザインしてみます。

しかも利他行為の「押し付けがましさ」は、時に暴力的な側面を露わにします。 誰かから贈与を受けたとき、私たちは「うれしい」という思いと共に、「お返しをしなければならない」という「負債感」を抱きます。うれしいんだけども、プレッシャーがかかるというのが、贈与の特徴です。もし、返礼をする余裕がない場合、二人の間には、次第に「あげる人」「もらう人」という上下関係が構築されていきます。「私はあの人を援助している」/「あの人からは一方的にもらってばかりだ」という双方の思いが蓄積していくと、ここに支配 – 被支配の関係が自ずとできあがっていきます。これが利他的な贈与の怖いところです。

中島岳志『思いがけず利他』(P.4 L.9-16)