独りでも、気づいてくれる人がいること

2026年8月26日(水)


今月初めお檀家さまからお姉さまが亡くなられた
という訃報の電話がありました。独り暮らしを
されていて、ご自宅で亡くなられていたそうです。

発見されるまで10日以上が経っていたこともあり
警察の検死が終わるまでご遺体を引き取ることが
できず、先日ようやくお葬式をおつとめしました。

お子さんはおられず、ご主人を亡くされたあと
実家のある広島へ戻ってきてお独りで暮らしながら
時どきご実家と行き来をされていたそうです。

認知症のように感じられることもあったそうで
いつまで独り暮らしできるかなと心配されていたら
思いがけないお別れとなってしまったということです。

日数が経っていたため警察からお顔を見ないほうがいい
と言われたため、ご遺体はそのまま火葬となりました。
お顔を見てお別れできなかったことに胸を痛めました。

今回のお檀家さまはお葬式のあとも相続や手続きなど
いろいろ難しいことが多いそうですが、それ以上に
もっと早く気づけていたら…という想いが心に残りました。

もしものときにすぐ気づいてくれる人が誰かいること。
そして最期にお顔を見てから送ってもらえること。
それは決して当たり前ではないのかもしれません。

夫婦で暮らしていてもいつか独りで暮らすことになるので
独り暮らしになること自体は自然なことだと思いますし
これから独りで暮らす方はどんどん増えていくでしょう。

でも、独りで暮らすことと孤立してしまうことは
同じではありません。何かあったときに気づいて
くれる人がいるかどうかは大きな違いだと思います。

独りで暮らす方が増えていく、そんな時代だからこそ
お寺として何かできないものかと考えています。
答えはまだ見つかっていませんが、考え続けたいと思います。