デスカフェで「二度目の人生」を語る
2026年8月25日(火)

今月のオンライン開催デスカフェに参加しました。
今回は「二度目の人生」をテーマにした二つの問いを
画面越しにご参加の皆さまと一緒に対話しました。
お盆の棚経のときにお元気そうな方なんだけど
突然心臓が止まって救急搬送されたけど幸いにも
一命を取り留めたと伺ったのが印象に残っていて。
「一度向こうに行きかけたけど帰らされたようで
命をいただきなおしたみたいですよ」と伺ったのを
参考にして自分事として考えてみようというものでした。
最初の問いは「あなたは目が覚めたら病院のベッドの上でした。
倒れていたところを救急搬送されて命が助かったのだそうです。
さて、あなたはまず最初に何をしますか?」です。
「今は何月何日?そしてここはどこ?」という
状況把握から入ってみたり「どうしてここに?」
という原因が気になったりするのは、確かにそうですね。
電車のなかでつい寝てしまってハッと目が覚めたとき
「ここはどこ?いま何時?」となったこともあるし
直前に何をしていたか思い出そうとするのもわかります。
個人的には、とっさに起き上がろうとするとか
スマホがどこにあるか探して連絡するなり何かを
したくなるんじゃないかなと思ったりもしたんですが。
「自分の身体はどうなってる?手も足もあるよね?
ちゃんと動くかな?」と自分の身体について状況把握しよう
とするんじゃないかというコメントにはハッとなりました。
確かにもし身体のどこかを失っていたり身体を動かせ
なくなっていたりするかも…という可能性については
全く想像していなかったので深く考えさせられました。
二つめの問いは「あなたは目が覚めたら病院のベッドの上でした。
倒れていたところを救急搬送されて命が助かったのだそうです。
さて、あなたは戻ってきたこの命をどう生きてみたいですか?」です。
最初の問いのとき既に今後の自分の身の振り方について
想像したという方がいらして、人生を生き直す状況に
置かれたらどうしたいかというのは大事な問いですね。
でも、そもそも一つめの問いでも出てきたことですが
命が助かったとしても、もしかしてハンディキャップを
持った状態で助かったのかもしれないと思ったとき。
何を失って何ができなくなったのか、によっては
生かされた命についていろいろ考えるんじゃないか
というコメントはとても貴重な指摘だと感じました。
もしハンディが全くなくて今までと同じようなら
いま抱えているいろんなものやことをすっかり手放して
好きなことを好きなようにしたいという意見が出たら。
究極的にはお釈迦さまが全てを手放して出家されたように
あらゆるものから解き放たれて誰からも干渉されることなく
独りで自由に我が道を突き進みたいという意見もありました。
それでもいつまでも独りで自由奔放に生き続けられる
わけではないので、臨終を独りで迎えるのは寂しいという
コメントもあって、まさしく死を語るという場になりました。
答えは一つじゃないしモヤモヤが残ることもあっていい
というかたちで対話を重ねていく時間っていいものですね。
次は10月21日(水)の予定ですので是非ご一緒してみませんか♪