『急に具合が悪くなる』をもう一度観た理由
2026年8月22日(土)

同じ映画を映画館で二回も観るようなことって
ほとんどないんですが、先月末に観てきた映画
『急に具合が悪くなる』をもう一度観てきました。
というのも前回映画を観てブログを書いていたとき
ネットの映画評で気になる考察を見つけたからです。
「そういう見方もあるのか」と思ったんですね。
※ ここからネタバレがあるのでご注意ください ※
その一つが、京都の実家へ帰る場面で聞こえる
蝉の声でした。私には印象がなかったのですが
映画評では重要な場面として触れられていました。
そこから思いもよらない考察が展開されていて
どうしても気になって仕方なくて本当に蝉の声が
していたかなぁ…と確かめたくなって行きました。
確かめようと思っていたはずなのに、つい映画に
見入ってしまって蝉の声はよくわからないままでした。
私が耳についたのは遺灰を撒くシーンだけでした。
他にも、資本主義についての議論とか身体性や
境界線を描いた映画なのではといった考察もあり
そう思って観ると、なるほどと思う場面もあります。
次々と違うテーマを問いかけられているようで
濱口監督の意図は捉えどころが難しいですし
深読みしすぎるのも違う気がする作品でした。
むしろ、この映画は「答え」を用意するよりも
観る人それぞれが自由に感じたり考えたりする
余白を大切にしている作品なのかもしれません。
二回観ても「結局よくわからなかった」という
モヤモヤした気持ちは残りましたが、不思議と
その感覚こそが味わい深かったような気がしました。
観終わったあとも「あの場面は何だったんだろう」
と考え続けたくなる映画だったのが、普段やっている
オンラインの対話みたいで私には面白かったです。
答えが一つではないからこそ、もう一度観たくなる。
そんな映画との出会いもたまにはいいものですね。