正しく怖れるの「正しく」とは

2020年7月14日(火)

200714
新型コロナウイルスの感染が広島でも継続的に報告されています。
大都市圏のような数字ではありませんが「0」でないのは気になります。
でもどのように気をつけてどう予防するのが効果的なのか本当のところは分かりません。

当初から「正しく怖れることが大事」と言われていましたけれども
何が「正しい」ことなのかは未だに誰も正確に教えてくれません。
というか「正しい」ことは誰にも分からないというのが実情でしょう。

仏教には「八正道(はっしょうどう)」という教えがありまして
その第一番目に掲げられているのが「正見(しょうけん)」です。
諸々の移り変わる様相の因果関係を紐解いて見る智慧というのですが…

そんなことは誰にもできていないので「怖れる」ことばかり先行して
やたらと不安や恐怖心をあおるような言説が喧伝されてみたり
逆に何も構わず怖れない行動が見受けられたりするのでしょう。

自分にできるのは過度に怖れすぎず構わなさすぎず極端にならず程良く怖れるくらいで…
こんな表現をしてみると仏教の「中道(ちゅうどう)」っぽくなりますね。
どうやら今できるのは怖れるための感覚を研ぎ澄まし続けるくらいしかない気がします。